本物のリーダーシップ研修で会社を成長させる社員が育つ

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代表 渡部 誠 プロフィール

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株式会社サウンド・オブ・リーダーシップ
代表取締役 渡部 誠

本物のリーダーシップコンサルタント

1973年早稲田大学理工学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。以来39年間に渡り現場からスタッフまでの職種、役員補佐を経験し2012年に退職、現職に至っています。

1973年に最新鋭の大型コンピューターシステム担当のシステムズエンジニアとして入社。
3年間にわたる第二次都市銀行オンラインシステム・プロジェクトに参画、その後、1980年代まで銀行の新しいサービス実現に関わっていました。

今でこそ情報は第四の経営資源と若い人でも情報活用を口にするようになりましたが、1980年代当時は、情報に対する価値が十分に認められていませんでした。情報は第四の経営資源という価値観はありませんでした。第四の経営資源である情報を活用するコンピューターのシステムを創りあげる仕事で実力を養えたことは幸いであったと認識しています。

 1980年代初頭には、銀行の担当を離れ、証券会社を担当する顧客チームのリーダーとしてチームを任されました。常に先を見据え顧客にとってベストなシステム作りを目指しチームをリードしていく必要性がありました。
技術的な専門性に加え、さらには顧客の潜在的なニーズを見つける仕事と営業チームや保守メインテナンスチームと顧客との良好な関係を調整する仕事でした。そんな中、最善のシステムを提案し構築していきました。

1980年代の中頃には管理者に昇進した。その時に経験した大きな二つの出来事が管理者としての姿勢の原点になっています。

一つは、管理者に昇進した直後の出来事でした。
部下を人事評価することが初めてだったのでとても戸惑ったし、不安もありました。その時に手にしたのが、IBM会長の書いたガイドブックでした。『IBMはライン人事制度をとっている。第一線の管理者に仕事の割り振り、人の配置、人事異動、評価などの人事的な権限が任されている。だから部下のことを一番よく知っているあなたの判断や評価が、会社を代表しているものである。』という主旨のものでした。

目から鱗のような言葉でした。全てが第一線の管理者の判断に任されている。自分で見たもの聞いたもの、感じたものなどを総動員しながら、客観性がもてるような自分なりの判断や評価をすればいいんだというように考えることができるようになりました。同時にその責任の重さも実感しました。とても勇気をもらったし背中を後押しされた言葉でもありました。

二つ目が、日本企業の強さの代名詞となっていたプログラムの一つにTQC(品質管理の手法)を日本アイ・ビー・エムが取り入れた時のことでした。

当時の営業本部では、営業課、システムズエンジニア課など全ての課の責任者(課長)が四半期ごとに、実績と次の期の計画を発表することが求められていました。しかし、実務に追われる中では社内レビュー用の資料作りや考えに集中できるのはほんとに限られた時間でした。そのため、私のプレゼンテーションの出来も充分といえるものではなかったように記憶しています。

ところが、当時の営業本部長は、プレゼンテーションを黙ってニコニコしながら聴いているだけでした。プレゼンテーションが終わると、『素晴らしい、感動しました。今の計画をしっかりと実行してください。』それだけの言葉を発して終わってしまいました。

このことから私は『あなたを信頼しているから自分の思う通りチームの仲間と一緒に顧客のため会社のために頑張ってください。』というメッセージを受け取ったと理解しました。会議は有言実行の誓いの場となり、一生懸命実行しようという意欲が湧いてきました。

人の可能性を信じて相手と接することが、どれだけ相手に勇気と自信を与えるかということを実感した出来事でした。

実際この営業本部は、13期連続(3年以上)対前年比プラスの営業業績を達成し続け、社内では燃える集団とも言われていました。

1980年代の末に手がけたのが、一緒にプロジェクトを進めていくソフトウェア開発のリーダーの選定でした。選定に当たり重視したポイントが、3つありました。

1番目は、パソコンの技術に豊富な経験と知識があり、最新鋭のパソコン技術にも対応できる力があること。

2番目はパソコン技術だけにとどまらずシステム全体の観点からも考えることができること。

3番目は、最後まであきらめすに完遂できる技術者として信頼できる人であること。

幸いにもこれらの3つの条件を満たす人にめぐり合うことができました。

リーダー選定が上手くいったため、毎週行われるプロジェクトの進捗会議に適切に対応することができ、顧客やソフトウェア開発企業のメンバーと一体となって最新鋭のパーソナルコンピューター400台を使った大規模トレーディングシステムを作り上げました。

1991年には専務取締役補佐の職についたことを契機に、顧客担当のシステムズエンジニアという第一線の職種を離れ、コーポレートスタッフという未知の仕事に踏み出しました。IBMのアジア・パシフィック本社や米国本社との交流が始まったのもこの頃でした。同時に大型汎用機を中心にビジネスを展開してきたIBMにとって、オープンなUNIX機やパソコンの台頭によるダウンサイジングの激しい波が押し寄せてきていました。

ビジネスモデルの転換を迫られた当時のIBMの経営者の選択は、巨像のように大きくなった会社を小さなビジネスユニットを細分化することでした。

IBMは潰れるかもしれないなどという噂も飛んでいました。求心力のなくなった会社の末路が近いのかと自信を喪失しそうになっていました。かつてのIBMはどこにいくのだろうと迷走していたちょうどその頃、日本アイ・ビー・エムでも社長のバトンタッチがホットな状態になっていました。

3人の役員が後継者候補として挙げられ、1992年に会社を3分割してそれぞれに社長の任が与えられました。私が補佐していた専務取締役が中堅中小企業担当の会社を任されることになり、その企画本部のメンバーとして経営を影で支援する道を選択した時期でもありました。

 1993年には、IBMのユーザー経験のあるひとりの企業経営者が、IBMの新しい最高位経営責任者(CEO)に就任することになりました。

そのCEOは社内ミーティングで以下のように語りました。

『CEO就任以来顧客の声を聴き続けてきた。顧客の声は、ますます複雑化・高度化する情報技術について全体的そして俯瞰的に提案できる会社はIBMである。それは事業を細分化し切り離すことで達成できるわけではない。顧客が求めている期待に応えるために、全体を一体として、分割しない。顧客の問題や課題を解決するソリューションを提供する会社に変わる。』これまでの路線を大きく変えた発言でした。一つひとつに思いが込められており懐の深さを感じたとともに、自信がみなぎっていると感じました。

『日本アイ・ビー・エムの人材についてもその価値を十分認識している、自分と一緒に再生に向けて協力して欲しい』というものだった。スピーチをきいていた社員は復活の兆しを感じその頬から涙がこぼれている者もいました。これほどまでにリーダーの影響力はあるものかと、感動した出来事でした。

その後、中堅中小企業担当の会社の事業再生計画についてこのCEOに説明する機会が訪れました。市場の動向や顧客のニーズを調べ、売上計画や利益計画、人員計画を作りあげました。社長がCEOにプレゼンテーションを行い、CEOの支持を得て、再生への道が始まりました。その後IBMのビジネスはハードウェア中心のビジネスからソリューション・サービスをおもに提供する会社へと大きく変貌していきました。

 1990年代の後半に、このCEOが世界にいちはやく打ち出したことがインターネットをビジネスに活用するeビジネスという新しいコンセプトでした。そしてもう一つは、ロータス社を買収し社内のコミュニケーションツールをロータスノーツというソフトウェアに統一したことでした。

リーダーの軸がはっきりしていたのでCEOの打つ手がどれも新鮮であり、信頼に値すると思えました。CEOの一連の発言や行動を目の当たりにしながら、リーダーとは市場や顧客の声、社内の状況を的確に判断し、リスクをとりながらも果敢に行動していくことだと実感しました。

私もその頃には、経営企画を経験し再生を支えながらPC事業、マーケティングなどグローバルIBMマネジメントチームの一員としての任を果たしていました。

1999年には、日本アイ・ビー・エムに新設されたマーケティング組織に異動しました。IBMはテクノロジー(技術)とセールスの会社といわれていましたが、市場や顧客中心の発想をCEOが取り入れマーケティング機能を新設し、全世界に展開し始めました。アメリカ本社のマーケティング部門と密接な関係を取りながら日本での展開を進めていきました。マーケティングメネジメント(管理)、市場調査(マーケティング・インテリジェンス)、マーケティング・コミュニケーション(広告・宣伝)、流通チャネルなどの分野があり、事業部と連携をとりながらマーケティング機能を活発化させていきました。

中でも一番重要であったのはマーケッター一人ひとりのマーケティングスキルの開発であり、研修を含めて多くの時間を割いていました。マーケティングプロフェッショナル制度もつくり、その認定プロセスなども新設していきました。

この業務を受け持ったことで「ネットワーク社会では、上位者ひとりのリーダーの智慧だけでは限界がある。一人ひとりがリーダーであり、その個性や智慧を活かし集結させてイノベーションを生み出すリーダーが必要」という強い信念を持ち始めました。

2006年、新しい時代のリーダー育成を目的に、講師・ファシリテーター・コーチのキャリアを選択してIBM内の研修会社に移籍しました。
米国CTI社主催のコーチ養成講座に参加し、CPCCというプロフェッショナルコーチの資格を取得し研修の中に活かしました。(CPCC:米国CTI社認定のプロフェッショナルコーチ資格)
また米国CTI社が主催するリーダーシッププログム(カリフォルニアで開催)に参加し、最新のリーダーシップ理論を学びました。10ヶ月間に渡るこのリーダーシッププログラムに参加したことは、IBMで学んだリーダーシップを補完するものとして大いに役立ちました。

2012年の退職までの期間中6,000人・日以上の講習実績を得ることができました。「安心・安全で自由に発言ができるオープンな場を提供する」ことで、自らの壁・組織の壁を破り、目標に向かってチームをまとめ上げることのポイントを学んでいただくことができました。参加者が現場に持ち帰り、現場で変化を起こし始めていました。業績の改善につながる研修になるとの声があがっていました。

日本IBMは、伊豆半島の天城高原に天城ホームステッドという経営者向けの研修施設をもっています。そこで私たちは、天城ホームステッドの特性をいかした経営者向けの『リーダーシップ』セミナーを開催しました。毎回経営者の方にご参加いただき一泊二日の時間を共有させていただきました。経営者が自分自身の人生をふりかえりながら、会社やご自身の将来方向をみつけていくセッションは、圧巻でした。そこでリード役を務めることができたことは、大きな財産となりました。

そんな中、

2011年には、米国CTI社がt影響するリーダーシッププログラムを学んだ仲間と一緒にリーダーシップ世界大会を主催しました。
「全員参加型のリーダーシップ−あなたのユニークさが未来を創る」をテーマにして3日間で述べ440名規模の大会を成功させることができました。

このことで、これからのリーダーのあり方やリーダーシップの概念をさらに研ぎ澄まし確立することができました。
全員が持っている智慧やアイディアや個性を引き出し、“場”のエネルギーを活用しながら、目的に向かってイノベーションを促す体験型のリーダー研修やワークショップの講師として独立しました。

独立後、IBM関連子会社をはじめ、アメリカ系マーケティング会社、日本のグローバル企業のIT子会社などで『リーダーシップ研修』を実施させていただいています。

資格など

CPCC(米国CTI社認定コーチ)、米国CTI社リーダーシップ終了
NLPマスタープラクティショナー、AIプラクティショナー、SL認定講師 ほか

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